甲子園、選手権、花園 切り離せない日本スポーツの光と闇

今日は、日本で行われる育成年代(なんていうかは不明)部活動での、

メジャースポーツに関わるすべてのプレーヤーが目指すべきとされる場所について考えていきましょう。

今日も保身のために先に書いておきますが、ただの素人が

これまでの経験とちょっとだけかじった程度の知識をこれでもかと偉そうに書いていくので、

申しわけないが、温かい目で見られないような方はここで見ることを辞めるのをお勧めする。

意見やこう考えますとかのメッセージは絶賛受付中だし、一緒に考えていくことが

これからのスポーツを変えていく大きなパワーになっていくと思うので、ぜひ一緒に共創してください。

タイトルはいつもかっこつけたり、語呂を良くしたり、なんていう見え方みたいなところなので、

あんまり気にせずに見てください。

 

おそらく僕が今回言いたいことは多分ですが、

メディアに切り取られることによって

起こるスポーツの現実と理想のジレンマ

といったところになるのかなと考えています。

この辺のはざまで揺れるさまざまな年代における選手目線で書いて考えていきます。

 

一番は日本の部活動という教育システムがこれまでの経験上、

いまいち腑に落ちない部分が多かったので、書いていくます。

 

そもそものマイナースポーツとして扱って例に出せないスポーツに関しては申し訳ない。

先に謝っておきます。ごめんなさい。

 

【目次】

1.それぞれの聖地

⑴甲子園

⑵選手権(国立競技場)

⑶花園

2.バーンアウト(燃え尽き症候群)

 

 

 

1.それぞれの聖地

⑴甲子園

 

まずは、日本の夏の代名詞。

全国高等学校野球選手権大会。

(↗NHKの甲子園特設サイトより引用)

これ日本人で知らない人はおそらくいない。

多分ですが、火星人くらいまでなら知ってると思う。

銀河にまで進出してるレベル。(あ、やべえ今日はまじめなブログだった)

ふざけている場合ではない。

ことの起こりは、高校生時代に受験しようとしていた高知大学の受験の為に、

スポーツ関係の小論文の練習をしていた時のことだった。

 

「日本という国における甲子園大好きくそバカ文化」

こんな稚拙でバカなタイトルではなかったけど、僕は読んで強烈に心が揺さぶられた。

詳細は忘れたけど、どっかの大学の教授が出してる感じの論文だったような気がする。

教授の方本当にこんな形で紹介してしまってごめんなさい。

(詳しく知っている人がいたら僕にもっこり教えてください。こっそりだよ!)

ギリギリ覚えている程度の内容を皆さんにお届けする。

 

①甲子園の評価対象は、過程(努力、選手のこれまでの生活や家庭環境)

②連日試合をするバカの大会

③努力を美徳とする日本の文化そのもの

 

相当、僕のバイアス偏見レッテル祭りが開催されているので、適切な表現ではないのだろうが、

何となく雰囲気だけで感じ取ってもらえると思う。

 

高校生なりに強烈な体験をした。

こうやって何年もたった今でも覚えているくらいだ。

 

勿論、この甲子園という特異な日本スポーツについて語るには、

提示しなければならない情報と内部を知ったうえでの証拠が必要だろう。

だが、そんなものは一切ない。サッカーという別競技をたしなんできた一男性の意見です。

ということを再度認識してもらったうえで、書いていく。

 

野球というスポーツをしてきた人からすると非常に憤りを感じる内容なのかもしれないけど、

とりあえず聞いてください。見てください。いっちゃってください。

 

上記した内容について考えていく。

①甲子園の評価対象は、過程(努力、選手のこれまでの生活や家庭環境)

②連日試合をするバカの大会

③努力を美徳とする日本の文化そのもの

 

まずは  ①甲子園の評価対象は、過程(努力、選手のこれまでの生活や家庭環境)

現在100回記念大会が行われる甲子園の事情についてです。

夏の風物詩ともいえる甲子園はこの暑苦しい季節のニュースなどで目にしない日は無い。

甲子園だけに特化した雑誌、テレビ、ネットなどで、各種盛り上がりを見せている。

この①に関しては、メディアの存在抜きには語れない。

 

二度とこない青春を野球にささげた高校球児のそれぞれのストーリーにスポットが当たる。

勿論、結果にも注目は集まるんですが、日本人が見たいのはそうではなくて、

 

亡き父母の為、

体格の小さな選手が負けじと、

必死に部の雑務をこなしてきた選手

地獄を乗り越えた練習(長時間の練習)、

マネージャーとの絆など

 

いいだせばキリがないと思うんですが、それってその子たちのストーリーを公表する必要ってあるの?

勿論、そんなことがあったんだ。そんなことしてきたの?というストーリーは

それぞれにあっていいだろうし悪いことだとは思わない。

ただ、それをメディアは限られた時間で放送するために、切り取って一定の部分に焦点をあてて、紹介する。

お涙頂戴スタイルのほうが視聴率だとかなんとかみたいなのが大人の事情的にちょうどいいわけです。

まあ、むしろ、それしかないんですが。笑

 

じゃあ、なんの不自由もなく、親の愛情をたっぷり受けて、練習も効率を考えて、

短時間で成果を出せるようにした選手がいたとします。

多分この選手は、甲子園において、メディアに取り上げられることはないと思います。

 

そりゃあ、メディアに取り上げられることを目標にしているわけではないので、

その子には何の影響もないとは思うんですが、明らかにテレビ用の選手ではない。という結論になっていしまいそうです。

 

言い方に語弊があるのはわかっていますが、分かりやすく言うと、です。

 

そんな選手のバックグラウンドを知ったうえで見るプレー

自分の想いを重ね合わせたりなんかすることで魅せられているわけです。

 

以下初めての図解です。ご査収ください。(あたたかい目で見守ってください)

 

 

 

②連日試合を行うバカの大会

勿論、各都道府県の代表が一堂に会する大会なので、

日程調整的に一定の短期間にまとめて試合をしなければならない。

重々わかっている。100年も続くこの大会が変わっていくなんてことは非常に難しい。

ただ、それでも、なんだかなあと考えてしまう。

https://matomame.jp/user/yonepo665/7692ad4e160be4536650

(まとめサイトで申し訳ない)

現在勝ち残っている金足農業高校 吉田輝星選手が現在注目を上げてくれているが、

あれだけの才能が、秋田の為!東北地域初の!みたいな世間の特に何をしていたわけでもない

秋田に住む東北に住むテレビを拝んでいるだけの人たちの勝手な期待と地域の応援を目いっぱい

背負いに背負って、無理して投げちゃうんだよなあ。

4試合で615球か。野球やったことないからわからんけど、どう考えてもやばいやん。

 

もう地域の為にとか、みているくれている方の期待にこたえたいみたいな感覚だけで、

自分の体を切り刻んでいくのは、できたらやめてほしい。

 

いわばアマチュアスポーツの最高峰みたいなとこが、こんな状態では、そりゃあ、

日本の部活動なんてものは、練習練習!練習した分だけ上手くなる!みたいな感じになっちゃうんだよ。

なんで上手な休み方は教えてくれないんだ。

みんなわかってるはずなのに。

これだけ発達した医学的な知見を乗り越える、周囲の期待ってなんだ?

高校生が背負えるものではないはずだ。楽しいという感覚と同時に本当に大変だと思う。

 

ということですが、夏の甲子園なんてものがある限り、この気温急上昇の地球で

毎年分かっているのに、外で部活動を行って、熱中症を引き起こす可能性も考えない。

結果、毎年流れるニュースでは、気温上昇と減らない熱中症患者の報道。

おいおい、人間はこれまで失敗から学んで成長してきたんちゃうんかい!

毎年やってる。いつもやってる。これぐらい大丈夫みたいな感じで部活する。マジでバカの極み。

リスクと生産性や効率なんてもの考えたら、もう練習しないなんてのも十分正しい判断なのに。

 

あ、ちょっと話が脱線しましたね。失礼。

 

そう、こうした過剰過多の期待や応援によって自分の中での責任を肥大させて、一瞬の輝きを得て、

力尽きてしまうなんて言うパターンもよくある。(バーンアウト、燃え尽きみたいなやつ。後で書きますが)

 

まあ毎年、甲子園で盛り上がると同時に僕みたいな邪険な考え方をする人も少数派ながらいるはずです。

 

様々なことを犠牲にしてきた高校生のこれまでが、

日本国民の一瞬の夏の感動や勇気に関わることの道具に使われているような気がしてならないんですよねえ。

 

本当に難しい問題だと思います。何が正解かも分からないし、正解は無いので。

 

③努力を美徳とする日本の文化そのもの

こんなことが書いてあって、確かになあ。と考えるようになりました。

やってきたことは報われる。とか、やった分だけ、いい結果に反映される。みたいな考え方は、

あくまでも、期待や希望でしかないなあ。ということ。

日本の年功序列なんていう最高のシステムは、時間をかけた分だけ評価されるという素晴らしいものだ!

なんてことを小論文を読みながら、高校生ながらに感じたわけです。

 

あー、だから日本人は甲子園が大好きなのか。と、とても納得がいきました。

 

とまあ、現実に自分の体験を交えられない野球の話だとリアリティのない批評にしか感じないと思うので、

次は自身がそれなりにたしなんできたサッカーを通して考えていきます。

 

 



 

⑵選手権(国立競技場)

 

(上記2枚引用)

画像はイメージです。ただまあ、なんとなく皆さん見たことがある感じにしたかったので、

聖地というと、おそらく国立競技場なんですが、陸上競技も行われるほか、

なんとなく高校サッカーのイメージだと、

国立!ってよりは選手権!

っていう印象が強いと思うので、タイトルにはそう書きました!

 

甲子園花園という並びに即していないとは思ったのですが、

分かりやすくしてみた次第です。とまあ説明はそこまでにしておいて。

 

次は選手権に際して、自分の考えを自身のこれまでの経験則をもとに偉そうに論じていきたいと思います。

 

まずは、僕自身が、和歌山県にあります、私立初芝橋本高校という

山に囲まれた大層自然豊かな場所での思い出を書いていきます。

 

学校の説明を大いにしたところで、大まかにこの章で言いたいことをまとめるとこんな感じです。

 

①高校に進学した理由・目的

②グランド整備の必要性?

③涙のロッカールームは全部嘘

 

 

①高校に進学した理由・目的

これは最近、自分のことを考えたり、頭の中を整理したり、

日本のスポーツ文化に疑問を感じる後輩と話したりする間にやっと気づけたことです。

スポーツに対する考え方や理論みたいな部分です。

 

まず、僕が初芝橋本高校に進学した理由は、

   「選手権にでたいから」  でした。

もうただただこれだけです。いたって簡単。

 

 

選択の内容が少な過ぎるんですが、分かりやすく少なくしました。

ユースなんぞは神々に与えられたスーパーにお上手な方が頑張ってなんとか進める道なので

一応書いておきましたが、僕の選択肢にはありませんでした。笑

大阪のサッカー強豪校に行くという選択肢もあったんですが、

大阪はどの学校もそれなりに同一の力を持っていて、

確実にどこの高校が選手権にでられるという保証がないものでした。

だからこそ、僕は和歌山県である程度、選手権出場が見込める場所を選びました。

これを言うと和歌山をなめるなとかいろいろ言われるんですが、確率の問題なので、そこはフル無視で。

それこそ、この辺のジレンマもスポーツ強豪私立高校が他府県から選手を集めて、地元の選手がいない!

なんていう高校スポーツ問題なんかにも大いにつながってくるわけなんですが。これは置いといて。

 

ここで、僕は自分で言うのもなんですが、中学校までは、それなりに成績がよく、

サッカーという項目だけで進学を考えるわけには、いきませんでした。

ただ、小学校中学校を通して、自分が最も熱中し、

はまったサッカーにもっと力を入れていきたいと自然に思っていたので

最終的には、当時偏差値が38?忘れたけどそれぐらい。にある初芝橋本高校の体育科に入ろう!

という決断をしたようです。当時の僕は。笑

偏差値がすべてではないし、勉強ができるが頭がいいとは限らないことを理解できた今では、

そうした場所を選んだことは、サッカー以外の世界を知る意味でとても大きな経験になっています。

 

では、ここで考えていきたいのが、目的を「選手権に出る」にしてしまったことです。

これこそが日本スポーツの光であり、闇の部分であるのではないかなあ。と感じるようになりました。

 

多分、最初はスポーツをはじめて、そこから夢中になっていく過程での大きな目的は

「サッカーが上手くなりたい」きっとだれしも、そんな目的です。100%そうだとは言い切れませんが。

 

スポーツを育成年代のうちに嗜む道中には必ず、選択が訪れます。

その選択のうちに、サッカーが上手くなりたい!という大きな目的が、

各カテゴリ内で大きく評価される場所(選手権)に出場する!

 

いつの間にかすり替わってしまうんですよね。

 

目的を達成するために最も近いとされる目標の部分を目的に変えてしまう。

これこそが、かつて、

日の目をあびた育成年代でのスター選手が

年齢を重ねるごとにスポーツから離れていってしまう要因だと僕は考えます。

もちろん、育成年代からスターでそのまま現スポーツ界でも抜群に活躍されている方も多くいます。

ただ、その割合は少ないのではないかなと体感しています。

(証拠となるデータは一切持ち合わせていません。あくまでも体感からくるものです。)

 

そりゃあ、目的なんて大義的なモノを達成してしまったら、これ以上の目的を見つけたり、

なんだか熱いものをもって、さらに大きな目的へ!なんてのはとってもむずかしい。

 

上記した甲子園に出場する!とか選手権に出場する!

という目的がゴールになってしまう。そんな気がします。

 

あくまでも手段としての選手権にしたいですね。

 

では、次へ。

 

②グランド整備の必要性?

 

これこそが高校時代にとてももったいなかったなと感じるところです。

古くからある体育会の悪しき文化、習慣というものはとても恐ろしいもので、

たかだか学年が違うだけで、特に尊敬すべきところがない人を敬わなければならないという

素晴らしいシステム(一種の洗脳)が部活動には存在します

かくいう僕もその先輩という立場になった時には、

使える力をフルに稼働していたので、特に言いたいことはありません。

後輩とされる人たち、今では申し訳ないと思っています。ごめんね。

 

お題の部分ですが、僕がはいった高校は土のグランドで、

入部してそうそう、まずは、与えられたお仕事は、

グランドを鬼のようにきれいにしておくことです。その他、新入生が行う業務は多数あります。

今回は最も無駄だと思ったグランド整備についてお話します。

勿論、きれいなグラウンドで練習できると、プレーの質も向上することは目に見えています。

ただ、その為だけに失った時間はとてつもないものでした。

 

まず登校し、真っ先に向かうのはグランド。

見た目的には、それなりにグランドがきれいなんですが、

前日に自主練習をした人たちの跡が残っているので、それを整えるといったものでした。

 

これはまだいいでしょう。使った人間が終わってからその部分だけ整地しろよバカなの?

思っていましたが、使わせてもらっている場所をきれいにしておかなければならない。

それを代表して一年生が行うというのであれば、確かに納得できました。納得してませんが。

 

問題なのは、雨が降った際のグランドの補正作業です。

練習までに、時間内でできる最も美しいグランド状態を作っておくことが、暗黙のルールです。

雨が降った後や、降ったりやんだりしている状態のときは、もう地獄です。

 

この後の天気予報で雨が降ることが分かっているのに、

5時間晴れている間にグランドにたまった水を抜く。かなり抜けたなと感じていたら、雨が降る。

雨が降ったと判断された時だけ、

水抜きをしなくていいという謎のしきたりに、いつも愚痴をこぼしていました。

そして、最も時間がかかるのは大雨が降った後の晴れた日のグランド整備です。

 

まずは大量にある地球儀の大陸のような水たまりを時間をかけて抜きます。

その後にゆるくなった場所と、水はけのよい場所を上手く混ぜながら、

重たいトンボを二人一組になって、一人が引っ張るトンボの上にトンボを押し当て、下に力を加えることで、

グランドを掘り起こしてキレイに整えます。

あたかも建築作業関係か農業従事者のような発想と知恵を活かし、僕たちはグランドをきれいにしていくのでした。

 

この作業で得たものはサッカーの練習でおそらく培われることのないであろう握力です。

この時ばかりは、ひ弱な上半身のトレーニングだと考えて、

日に日に強くなる握力をニヤニヤしながら喜んだものです。(大嘘です)

 

まあこのようにここでは出し切れないほどの、

サッカーとは関係のないことに多くの時間を割かれていたことが分かってもらえるかと思います。

これはほんとうにもったいなかった。あの重たいトンボで何億回も往復していた時間

自分のトレーニングをすることに充てられていたら、もっと自分の可能性は広がっていたかもしれません。

 

こうした謎のしきたり、ルール、習慣は各高校、団体においてさまざま存在します。

 

千差万別、十人十色、森羅万象、そして、ときに縦横無尽に、

意味の分からないことから意味が全く意味のわからないことまで、多岐に及びます。

 

そうした無駄だなあと思えることに耐え抜き、やりぬく怒涛の忍耐力を鍛えるのが

体育会の評価になったりします。そうしたよくわからないことに疑問を持ち続けていたことが、

今もこうして、スポーツと向き合ったり、いろんなことを考えるようになれたキッカケなので、

とてもいい経験になりました。(と脳内で補正をかけています。)

 

こうして書き始めると、あれもこれも言いたくなって、

最終的に伝えたいことがぶれてしまう。というおなじみの展開ですね。

脱線しながら道草を食いすぎて、おなかがいっぱいになってきたので、

さあ、やっとですが、今日のタイトルに沿った内容にやっと触れていきます。

 

③涙のロッカールームは全部嘘

さあ、サッカーをやっている皆さんなら、ご存知だと思うんですが、

選手権の裏側を映し出すいわば伝説の放送のことですね。

 

「涙のロッカールーム」という選手権の放送のカップリングのようなものです。

選手権にやぶれた高校生たちの涙を姿を映し出すことで、

観ている人ももらい泣きをしてしまうという【お涙の美しさこの上なし!】を表現したものです。

まあ、全部嘘と書いたのはそっちのが分かりやすいからです。

本当のことも映っていますが、ストーリー、ドラマの構成上不要なものは一切使っていません。

 

これも構造は前述の甲子園メディア切り取り問題と一緒です。

もう一度張っておきます

 

 

まあちょっと内容は違いますが、根本的には同じでだと考えてください。

(もう1枚図解を用意することを怠りました。全力で非難してください。)

 

自分が選手権で敗れたときに、泣いている仲間を近くでカメラで撮影している姿をみて、

興醒めしたのをいまでも覚えています。

勿論、僕も悔しいので、自然と涙が出てきたのですが。

さらには、一番大きい声をだして泣いている人をうつして何が楽しいのだろう。と思っていました。

 

 

そして、問題だなあと思うのは、普段、そんなことをしないであろう仲間が

絵面を気にしてか、後輩に声をかけたり、仲間に必要以上に泣きながらありがとうと言っています。

あららあ、こりゃあ捏造だなあと。心の中でずっと感じていました。

実際に本人がそう思ってやっていることなんですが、僕には、ああ、テレビ用にやっとんなあ。

ぐらいに映ってしまったんです。そんな僕もカメラが向いたときは精一杯かっこつけて泣いていました。

 

これって非常によくないなあって思うんですよね。

おいおい、メディアがうつすことで、自分の感情にすら嘘ついたり、偽ったりしてるやないかい。と。

 

そもそも、最後のロッカールームなんて瞬間にカメラマン含め、

関係ない人間がおったら本音で言えることも言えへんやろうし、

誰でもかっこつけてまうし、ましてや、うつされてるなんてわかってたら、嘘もつきまんがな。

ってかんじです。

星稜高校かどこか忘れたけど、そんな思いから涙のロッカールームには絶対出ません。

みたいな取材拒否してるって聞いたときは、うわあ、素敵だなあと思ったような気がしますし、

それこそがあるべき姿なのではないのかな、といまでは考えます。

 

そして、衝撃だったのは、案の定、発売されたDVDを見ると、

モノの見事に泣いていなかった選手は映っていませんでした

これが編集の力かあと。

高校生ながらに、なんだか複雑なことを考えたような気がします。

 

とまあ、そんな感じで様々やーやーやーやー言うてきましたが、

実際の経験からくるものなので、分からないことや、共感できない部分も多々あると思います。

あくまでも団体を代表してとかではなく、個人の感想でしかないので、あしからず。

 

では、次に。

 

⑶花園

 

(引用)

最後は、花園です。

ラグビーの聖地として知られる場所ですね。

ここに関しては、甲子園、選手権よりもメディアに取り上げられる頻度・内容なんかは上記の2つには劣ると思います。

(ラグビー関係者の皆様ごめんなさい)

なので、直接の感想という部分があまりありません。

 

ただ、それでも日本のスポーツを考えたときにぱっと出て来たのが、花園だったので使わせてもらいました。

 

それでもパっと思い浮かべたときに出てくるというのは、それだけ認識されているということだと思います。

 

ここには明記すらしていないスポーツの聖地もたくさんあるでしょうし、マイナースポーツにはマイナースポーツが抱える問題も多くあると思います。

そうしたところもこれから考えていけたらいいなあとは思います。

メジャースポーツとマイナースポーツ。いろんなことをこれからも考えていきましょう!

 

それでは、これらの体系を踏まえて、起こりやすくなっている症状について書いていきます。(医師か)

 

2.バーンアウト(燃え尽き症候群)

 

バーンアウトburnoutバーンナウト

  • バーンアウト症候群 – 燃え尽き症候群のこと。心因性(反応性)鬱病の一種で、仕事などに没頭してきた人が意欲を失う現象。単に「バーンアウト」ともいう。

(↗Wikipedia先生はこうおっしゃっています)

 

まあ簡単に言うと、多分です、これまで競技に全力を注いできたスポーツの

ある種のゴールを達成したり、一定のラインを通過したときに燃え盛っていた炎(情熱)が一気に消えてしまうことです。

 

これが日本の高校スポーツでよく起こっているなあと感じます。

部活動といったほうが適切かもしれません。

これが甲子園、選手権、花園という聖地が存在することで、起こりやすくしているのかなと。

 

途中で言いましたが、

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では、ここで考えていきたいのが、目的を「選手権に出る」にしてしまったことです。

これこそが日本スポーツの光であり、闇の部分であるのではないかなあ。と感じるようになりました。

 

多分、最初はスポーツをはじめて、そこから夢中になっていく過程での大きな目的は

「サッカーが上手くなりたい」きっとだれしも、そんな目的です。100%そうだとは言い切れませんが。

 

スポーツを育成年代のうちに嗜む道中には必ず、選択が訪れます。

その選択のうちに、サッカーが上手くなりたい!という大きな目的が、

各カテゴリ内で大きく評価される場所(選手権)に出場する!

 

いつの間にかすり替わってしまうんですよね。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

目的やゴールがその聖地に設定されてしまうんですよね。

もちろん、上手になりたいとか、競技力を向上させていく過程で必ず、そうした場所を通っていくんです。

あくまでも自然と。だからみんな特に疑問も抱かないし、何の問題もないような気がすると思うんです。

 

これって、すっごいモッタイナイことなのではないかと思うわけです。

もう少し、違った道があったら、それを選べたら、進む途中でスポーツから離れてしまった人

とてつもなく輝くステージに立ってたんじゃないかなんてことです。

 

まあ、そんなだいそれたトップの話は抜きにしても、スポーツをもっと自由に楽しめるようになったり、

数々のしきたり、ルールに耐えられなくなったりして、好きだったスポーツを嫌になってしまった人が

スポーツを辞めなくていいようになったりする。

 

そんなことが出来たら、いま多くの人が感じていると思うんですが、

「スポーツは人々を豊かにする」みたいなおっきい共通認識が

それぞれの人々のステージに合わせて、いまよりもリアルに

実現されたり、選択肢が広がったりする可能性を高めてくれるのではないかと。

 

そんな風に考えるようになりました。

 

こうして、今あるスポーツ文化に文句を言うだけじゃなくて、自分が疑問に感じたり、不満だった部分に

解決策を出していけるようにこれからやっていこうと思っています。

まだ具体的に何かをしたわけでもないし、誰かのスポーツに対する考え方に影響を与えられたわけではないけども。

 

少しづつでも変えていけるようにいろんなことに着手していきたいなと思うます。

 

本当に少しづつではありますが、

一歩ずつ歩いてます。(カメのスピードで)

 

とまあ、こんなかんじで、タイトルに沿っているのか自分では何度読み返しても分からなくなるます。

文章の内容も脱線したり、道草を食ったりしながら、ゆったりと適当に構成も深くは考えずに、書いています。

真剣な話をふざけずにはいられなかったりと、いつもの流れですが、

とにかく、何かしないといてもたってもいられない感じだけ読み取ってもらえたらうれしいっす!

 

そして毎度のことながら、なぜか全部読んでしまって、

 

なんやねん、こいつ偉そうに!とか

お前なんも知らん競技のこと書くなやしばき散らかすぞ!とか

普通に情報まちがっとるやんけ、ケツから手突っ込んで奥歯ガタガタ言わしたろか!とかの

 

マイナスなイメージを持ってしまった方にはマジであやまる!ごめんね!

間違っていることが分かったら、ひっそりコメントで教えてね!

 

今日も長々とお付き合いありがとうございました!

 

またつぎ書くのはヒッチハイクのブログになるので、楽しみにしてる方はしばしお待ちを!

すぐ更新できるように頑張りますん!

 

ほなまたー!

 

Do action! Going my way! 西岡大志

以下、おすすめ記事です。ついでにどうぞ。

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